あべさんについて
向いていないと思っていた人が、1,300件を成約するまで。

日本一の空港で
働きたかった
中学生のとき、「日本一の空港で働きたい」と夢を決めました。空港関係の専門学校へ進み、夢を叶えて羽田空港のグランドスタッフになります。
ただ、24時間稼働の空港と都会の環境に馴染めず、仕事の過酷さから精神を病み、うつになりました。20歳から21歳のころ、退職して新潟へ戻ります。
10以上の職を、
全部やった
療養は約2ヶ月。回復してからは「悔いのないように生きたい」「やったことのない職種は全部やりたい」と、飲食店、映画館、チョコレート専門店、貨物運送、ホテル清掃、農業、旅行代理店の添乗など、10以上の職を経験しました。
訪問営業も、旅行代理店の営業も、全くうまくいきませんでした。
最初は自分が人とコミュニケーションを取るのが向いてると思っていたんですけど、だんだんやっていくうちに、接客ではないのかなと思ってきました。あべさん
そうして、人と接しない仕事へ移っていきます。
「あべさんって、
人が好きですよね」
一緒に働く人に、そう言われました。
あ、自分って人が好きなんだと思って。得意というよりかは、人に興味があるんだなと思って。あべさん
向いていないと思っていた「接客」は、決められた対応をする接客でした。空港、飲食、映画館。マニュアルのある型です。
周りから見えていたのは、別の型でした。矛盾していたのではなく、型が違っていただけです。
便利屋で、
1,300件を成約した

お世話になっている方に相談して、「草刈りいいんじゃないの」と言われたところから、便利屋を始めました。屋号の「ありがとう」は、たくさんの人と関わってきた中で、ありがとうを伝えたいという本人の言葉からです。
便利屋の商談は、1軒の家に1人で行き、目の前の1人か2人に、その場で金額を出します。台本がない。会社に持ち帰ることもなく、断られるときは目の前で断られます。
約1,300件
そうして成約した数(2026年9月時点)。商談そのものは、3,000件から5,000件にのぼると見ています。
倒れて、
断ることを覚えた
依頼が多すぎて、体も気持ちも休まらない。こなせるか不安で、同時に、これから依頼が来なくなるのではとも不安になる。病院でうつと診断され、1ヶ月ほど何もできない状態になりました。
便利屋をやめる話を何度もしました。廃業も考えました。それでも続けることを選んだ理由を、本人はこう言っています。
今まで依頼をもらっていった方たちの言葉が、どうしてもずっと私の中に残っていて。何度もやめるやめないの話をしてきたけど、結局また続けたいというところに今なっている。あべさん
回復してから出した答えは、「ちゃんと自分も無理のないように、継続をしていかないといけない」でした。
遠方で体力的に厳しい仕事は、取引先に事情を話して終わりにしました。全部は受けない。続けるために選ぶ。
売らないセールスは、本で読んで覚えた方法ではありません。受けすぎて倒れた本人が、身をもって身につけたことです。
だから、
教えられる
- 苦手だと思っていた頃
- 接客は向いていないと思い込み、依頼を全部受けて倒れた
- 型に気づいた時
- 「人が好きですよね」と言われ、得意ではなく興味があるのだと分かった
- 倒れてから
- 1,300件を成約した末に倒れ、受けない仕事を決めることを覚えた
自分でこの道を通ってきた人だから、教えられます。
